【映画】君に読む物語
はい、すっっっごい久々の投稿(・ω・)
継続力のない自分に辟易としつつスタート
この前(といっても1ヵ月前程度だけども)やっとこさ「きみに読む物語」を見ました。
この映画はたしか私が学生だった頃に流行っていて、当時クラスの女の子がわーきゃーしていたのを覚えている。
当時ひねてた私は
へっ(゜д゜)
どうせお涙頂戴映画だろ
だなんて思ってみなかったのである。
見ていれば少しはミーハーできゃぴきゃぴしたスクールライフを送れていたのでは。。と思うのではあるが、そんなもの後の祭りというものである。
さてさて、簡単なあらすじを
・あらすじ・
映画は、とある療養施設に暮らす初老の女性と男性のいるシーンからスタート。
老女はアルツハイマー病によって、過去の思い出を失い、一人寂しい生活を送っている。そんな彼女のもとに、デュークと名乗る男性(ジェームズ・ガーナー)が定期的に通って、とある恋の物語を読み聞かせてやっている。
デュークが読み聞かせている恋の物語は、ある地方にいた身分差のある男女の物語。家族とひと夏を過ごすためにこの土地にやってきた良家の子女、17歳のアリー・ハミルトン(レイチェル・マクアダムス)は、材木工場で働く地元の青年ノア(ライアン・ゴズリング)と恋におちる。
その物語にはカラクリがあって。。。
というもの
では感想を書きます(ネタバレとなるので、数行あけます。)。
書くよ
かいちまうよ!!
では、感想です。
・感想・
物語の最後で、結局デュークは物語に登場していたノアということになり、アリーは一瞬だけノアを思い出し、二人は再度愛を誓い合い、そのままなくなる。という超絶ざっくりとした終わり方になるのですが
ここで私の疑問が一つ
いや、デュークってロンじゃないの????
鑑賞後、デュークがノアであるはずがないと思い、ネットをサーフィンしまくりましたが、同じような意見の方はわずか2名しか発見できず。。。デュークがノアである場合、個人的には映画内容はあまりにも平凡すぎるかなと思ってしまいます。
また、ノアの経済状況、デュークが開いていた写真、デュークの子どもたち、アリーの性格等つきつめて考えてゆくと、最後の最後でアリーがロンを選んだとは考えにくいのです。
まず、アリーのお母さんが、自分自身が最愛の人との結婚をあきらめた理由について、アリーに語るシーンがあります。
ここでは、アリーのお母さんが恋していたであろう人物が木材現場で働いており、アリー母はこの人物を見ながら
「もう誰かもわからないわ。」
というような言葉を口にします。
このシーンは
心にしたがい、最愛の人を選ぶと今の裕福な暮らしはない。
と、示唆したものになると思うのです。
ロンは、自身の父親が亡くなった後、家こそ建てはしましたが、特段裕福というような生活ではなく、服装も気品あるものではなく。
それに比べ、デュークには品があり、デュークの子どもたちを見るからに、明らかに裕福な出自の人間であることがわかります。
たとえ、家を売り、大金を得たとしても、そう簡単に身分の格差は覆らないだろうと
アリーの身に着けている服装等からも、デューク一家は裕福な家であることが想定されると思うのですが
なんでみんなそう簡単にロンとアリーが付き合ったと信じられるの?
といった感想よ。
私としてはYO。
だって写真のデュークの髪色黒だし。
ロン金髪だし。
それとも私の心がすさみきっているから、こんな感想をいだいてしまうのでしょうか。。。
だってもしロンを選んでたら、あんな高そうな老人ホームに住めるわけねえだろ
あんな高価なもの身につけられる訳ねえだろ
とか
いろいろいろいろ思ってしまうのですよ
ただもしデュークがロンだったら、私としてはこんな素敵な映画はないと思っています。
自分のことを他人だと勘違いして、自分よりも愛して接してくる女性を受け入れることができるのか?
自分よりも恋い焦がれた相手がいることを知りながら、献身的につくせるものなのか?
もしデュークがロンであったら、私はこれこそが究極的な愛の形なんだと思うのです。
アリーはきっとロンを選んだ。
ただ、ノアのことはずっと心にひきずっていた。
記憶を忘れた際、思い出すのは心を燃やした恋であったノアとの恋愛であった。
それでも、アリーがアリーとして、少しでも戻ってきてくれればいいと、支え切ったロンこそ、究極の愛の形であると私は思うのです。
私の中では、デューク=ロンで確定です。
問題ありかな