南部希実の気ままブログ

長崎在住南部希実のブログです。海外のニュースを中心に、映画や食べ物など、色々英語と絡めて書いていけたらと思います。

【映画】ウォールフラワー

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あらすじ

1991年、シャイで物静かな高校生チャーリー(ローガン・ラーマン)は、クラスメートたちに“壁の花”とあだ名を付けられ甘く見られていた。だが、彼の平凡な日常は、パトリック(エズラ・ミラー)とサム(エマ・ワトソン)兄妹との出会いによってすっかり様変わりする。チャーリーは初めて知る友情の素晴らしさや、初恋の胸のときめきに有頂天になっていたが……。

 

評価:★★★★☆(星5つ中4)

 

 

~感想~(ネタバレのため、内容を知りたくない方は読まないでください。)。

 

 

 

生きることと、ともに生きてゆける仲間をもつことについて深く考えることのできる映画だった。

主人公は、実の叔母に性的虐待を受けていた17歳の少年。

性的虐待を受けていた記憶自体は、彼の記憶の奥底に隠されているが、たびたび幻覚として、彼の前に現れる。

元から内気だった少年は、学校になじめずにいたが、唯一の親友をなくし、さらに行き場を失う。

1年間学校を休んだ彼に行き場はない。

勉強はできたが、いわゆる「まじめちゃん」と、学校の人には馬鹿にされる。

そんな彼がであったのが、義兄弟であるサム(エマ・ワトソン)と、パトリック(エズラ・ミラー)だった。

サムとパトリックの仲間と触れ合う中で、彼が生き生きとしていく様子が心を暖めてくれる。

逆に、サムとパトリックと離れることで、主人公がぼろぼろになっていく様子には心が痛む。

 

主人公に限らず、主要人物ひとりひとりの小さな心の揺らぎを丁寧に描いていく作品だった。

パトリックはゲイで、ブラッドというクラスの人気者と付き合っている(ブラッドはゲイであることを家族にも、友達にも明かしていない。)。

パトリックとブラッドはとても仲良く付き合っていたが、ある日ブラッドの家でいちゃついているところをブラッドのお父さんに目撃され、二人は引き裂かれることとなる。

ブラッドとパトリックが破局するまで、パトリックはとにかく明るく・強いキャラクターとして描かれているため、彼の憔悴した様子には見ているこちらも動揺してしまう。

 

私がなぜこの映画に心を惹かれたかといったら、私も学生時代(今現在もかもしれない)、自分は「はぐれ者」という認識があったからだと思う。

彼等と私で決定的に違ったことは、彼等は自分の個性を認め、他人に認められずとも強く生きていた。

主人公であるチャーリーは、パトリック達と出会うまで、自分が「はぐれ者」であることを自覚しながらも、自己肯定できず、苦しい思いをする。

その様子が、学生時代の私ととてもかぶるのだ。

そのせいか、私もサムとパトリックの気高くも美しい生き方にあこがれてしまう。

 

自分を肯定するためには、その基盤として、誰かの愛情が必要だ。

それが親であったり、友達であったり、人それぞれだとは思うが、「誰かに必要とされている。」という自覚なしに、「自分に自信をもつ」ということはできないのだと私は思う。

「自分は誰かに愛されている人間だ」と、自覚してはじめて人は自分に対する自信をもつのだ。

 

映画の中で、主人公が「なぜ、僕の好きな人は苦しむんだろう?」と医者に問う。

それに対し、「あなたは何をそんなに悲しんでいるの?」と、医者は返す。

医者の発言に対し、彼が返したことばは「違う。僕じゃない。僕の大事な人が苦しんでるんだ。」だった。

彼自体が苦しんでいるのに、彼は自分が苦しんでいると認めない。

人は優しいだけでは生きてはいけない。

人に対して同情心を強くもつことは、自分を価値のある人間だと思っていない場合、自分を傷つける行為と一緒だと思う。

優しい人が幸せになるには、まず「自分」という存在に対し、「存在してていい」という自覚を持つことが何より必要なのだ。

 

「なんでやさしい人が苦しむのか。」

「なんで人には仲間が必要なのか。」

 

思春期との時に、きっと誰もが考え、それでも生きていく中でなんとなく忘れてしまっている・薄れてしまっている疑問を改めて考えさせられる映画であったと思う。